昇天♨春のうらら

昇天♨春のうらら

NEW MOON VILLAGE 風景6(出来立ての六角堂。中央に火処が在り、50〜100人は入れる多目的SPACE)

 一見、突発的無秩序あるいは逆に意志的作為にみえるものをもふくめて、この世のすべての現象たちは、実は時空を超えた「うちゅうりょく」に仕組まれたもの、一部の狂いもない数学的必然性に満ちたものなのかもしれないな、とこのごろ強く想う。そして、この世に起こる出来事たちを、「うちゅう」のピッチに同調した必然のドラマティックな『物語』に編集できたとき、一つの感染力放つ「存在」あるいは「作品」がこの世に産まれ出るのだと想う。
 20年前にネパールのポカラに来たとき、「ディジュリドゥー」という楽器(オーストラリアの原住民アボリジニの法器)に出会い、そしてその直後、インドで「ひーらん」という20代後半の美しいエキゾチックな日本人の旅人(ラボナターラというインドの弦楽器の奏者)と遭遇してしまったボクは、帰国後、突き動かされるように止むにやまれずバンドを結成し、40代のはじめにステージに立ち上り、45歳から歌も歌いはじめている。その彼女も、この4月4日で47歳に成り、今、放射能漂う東京に独りで住んでいる。このバンドに「わんだ〜ガネシャ」と命名してくれた人が、旧友「春のうらら」だ。
 あれから21年ぶりに訪ねたポカラで、彼の昇天を知った。「3月21日、春分の日、栃木県から九州の福岡へ避難到着し、絵を飾り、祭壇を造り、ヤポネシヤの旗を揚げ、そのあと、お風呂で亡くなった。」というメールが東京の友人から届いた。「春のうらら」は、栃木県の那須高原にアートランド「ポカラ」というSPACEを展開していて、彼の描く「絵」も、催す「祭り」(旗と火があれば祭りはできる!!! と言い放っていた)も、他とは全く違う交換不可能な彼独自の世界観が現出していて、「春のうらら」という名前の響きそのものが彼の全てを表していた。
 その「春のうらら」が「春分の日」にあ!!!っと昇天したのだから、もう、笑顔でバイバイするしかないだろう。「大震災よアリガトウ!!!」という「春のうらら」の懐かしい声がきこえてくる。ボクも、中越大震災のおかげで愛妻はるかと巡り逢うことができたのだから、ホントに、「大震災よアリガトウ!!!」だ。そして今回、ボクが父親としての全力の叡智と直感力で、4月12日、タイの正月、ソンクラーン(みずかけまつり)がはじまった日のバンコクで、成田へのフライトを、名古屋でも大阪でもなく、「春のうらら」昇天の地である「福岡」に変更せざるを得なかったのも、この「うちゅうりょく」のシワザかもしれないな。
 アートアカデミー「ポカラ」の主「うらら」が昇天した日、春分の日、その日、ボクらはネパールの「ポカラ」にいて、ヒマラヤ展望の絶妙なるポイント「ダムサイト」から、全くヒマラヤが見えない「レイクサイド」のどんづまりの山側に引っ越した日だ。距離を感じる荘厳なる「ヒマラヤ風景」から、イノチを感じる身近のやさしい山の緑や池の水溢れ水牛歩みゆく「春のうらら風景」へと、突き動かされるように移った日なのだ。きっと、あの世からボクら家族にインスパイヤーしてくれたのだろう。なにしろ、彼の最後の作品のタイトルが『いのち』なのだからなあ。
 生前、4月10日から彼のART STUDIO「ポカラ」で作品展が予定されていたので、今、仲間たちが「追悼作品展」をやってる最中だ。ボクが故郷の岡山やタイの桃源郷PAIで、やさしいイノチ溢れるSPACEを展開しつづけていくことが彼への一番の供養になるのだろう。
 そして、今、原子力よりも「元気力」を!!!
 みんなの「元気力」で、アブナイ原子力なんかにバイバイしなきゃね。
 日本に帰ったら、『とろんの元気力発伝書』という4冊目の本を描く気、満満!!!


      呆力全開の、とろんより。

 

プロフィール

とろん
1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪をはじめる。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行。50歳(2001年)からタイ北部の山間の町「PAI」にベースを移し、村創りをはじめる。現在、2012年12月から108日間の祭り(たましいのかくじっけん)第2弾を想定しながら、桃源郷「NEW MOON VILLAGE」を創作中。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社)がある。
・とろんのホームページ

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