願わくば明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力

願わくば明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力

vol.11

2011.02

願わくば明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力

とろんの「右巻きアートエッセイ」 プロフィール

NEW MOON VILLAGE 風景3(住人KEM&よしのの土の家内部風景。象の糞と蟻塚の土を混ぜて作った100%手作りの家)

 年が明けて一等最初の半月、1月12日の朝、ボクら4人家族は冬の快適なバンコクから寒いネパールのカトマンドゥー(標高1300メーター)まで飛んだ。マメなボクが空からヒマラヤ山脈が見えるように、右窓側3つの座席を2カ月前から予約確保していたおかげで、冬の純白連なるヒマラヤ郡を拝むことができた。ボクの大好きな半月、白昼の真っ白な半月がヒマラヤ群上空に傾き浮かんでいるのを目にした瞬間、ボクの全細胞が覚醒してゆくのを「快感」したものだ。
 タイ北部山岳の桃源郷PAIでの1カ月間、木と竹と葉っぱで共同台所風景を作り、2012年のまつり風景をよりくっきりと描けたボクはご機嫌で元気いっぱいだったけど、うまれたての4歳の太一と身重の愛妻はるかは大変な目にあっていた。
 首都バンコクに向かう途上、京チックな都チェンマイで「三種混合ワクチン」とやらをうけた太一は、翌日から高熱でダウンし全く食欲がなくなり、4カ月目に入った安定期直前の愛妻はるかも、貧血と不整脈と頭痛で動けなくなり、ネパールへのフライト直前まで二人とも絶不調がつづく。
 わけのわからぬ予防注射など止めるべきだった!! と現代医療の情報力に巻き込まれた無知で弱気な自分を恥じ、苦しむ愛妻に何もしてやれぬ自分の治癒力のなさを嘆きながらも、自分の「純粋野生判断力」を信じて、フライトをキャンセルしないで絶不調のままヒマラヤに向かった。そして離陸数時間後、天空に浮かぶ白い半月の下に純白ヒマラヤ群が出現した瞬間、太一も愛妻はるかも全細胞が覚醒したかのように、あ!!っと元気になってしまったのだ。摩訶不思議なるヒマラヤ瞬間力。

 今、カトマンドゥーの東35キロに在る標高2100メーターの村「ナガルコット」に居る。日本人女性とネパール人の夫の経営する「雲海リゾート」のA号室のベッドにもぐりこみながらの執筆。地上からヒマラヤ群を拝みにやってきたのに、バスを降りた瞬間、雪が降りはじめた。それは2年ぶりの初雪で、太一の産まれた年2006年には65年ぶりの大雪が降ったという。A号室は愛妻はるかのラッキーナンバー33と同じ33ドル(約2800円)だったので、全く値切らないで、むしろ喜んで即決した。広いバルコニーの東に8848メーターのエベレスト、正面には、6799メーターのドルジェラクパー、西には8091メーターのアンナプルナまで、東西200キロにわたって連なる純白の山脈が望めるハズなのに、今もって降雪中。サンセットタイムにはオレンジ色に輝くハズのヒマラヤ群。
 願わくば明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力で、ボクら4人家族の「想い」があ!!っと天まで通じますよう!!! そして、わけのわからぬワクチンで苦しんだ太一も、そんなワクチンをうけることを英断した産みの母はるかも、苦しむ我が妻子を飛行機に乗せてしまったボクの選択も、そして、今までの人生のなにもかもが「これでよかったのだ♪」とササヤカレル明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力。
 ヒトは失意の中で東の空に突如と現れる七色の虹に涙し救われ、絶望の中で接したイノチの言葉や絵や音楽や幼子の笑顔やアナタの存在に涙し救われる。どんな時代や状況でも、ヒトは「生きてる限り」絶望なんかじゃない。むしろ「一瞬先は、ひ、か、り」輝く摩訶不思議存在なのだから。この青色の星全てに、願わくば明日の夜明けのヒマラヤ瞬間力を!!!


  明日の夜明けにすべてを賭け眠る、還暦迫るとろんより。

プロフィール

とろん
1969年高校卒業直後、フランス郵船に乗ってインドに上陸し地球放浪をはじめる。帰国後、専門学校、大学、夫などを中退しながらも、旅と文筆とライブ活動を続行。50歳(2001年)からタイ北部の山間の町「PAI」にベースを移し、村創りをはじめる。現在、2012年12月から108日間の祭り(たましいのかくじっけん)第2弾を想定しながら、桃源郷「NEW MOON VILLAGE」を創作中。著書に『純粋単細胞的思考』『まるだしのエクスタシー』『とろんのダイジョーぶ経典(スートラ)』(共に、晩聲社)がある。
・とろんのホームページ

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