最終回 疾走する中国

最終回 疾走する中国

vol.15

2011.07

 『北海道人』の連載がきっかけで、1963年生まれの元同僚チャンインの人生を追いはじめたのは2007年2月のことだった。エリート出身で仕事はできるが、言うことやることハッタリだらけ。マナーもモラルも無視で、いつも私たち日本人社員を困らせたチャンイン。でも、その生命力に満ちた貪欲なエネルギーが、いつも私たちをひきつけていた。もしもこの人が生きた時代を深く知ることができたなら、中国の今が少しわかるのではないか――そんな予感がした。
 軽い気持ちではじめたものの、連載は全64回に及んだ。一般庶民である彼の家族史はそのまま中国の近代史だった。西太后に仕えた宮廷医・曾祖父。軍隊学校を逃げ出した開業医の祖父。国民党・日本傀儡政権・共産党の計3政府に仕えた公務員の父。チャンインが3歳のときには文革がはじまり、15歳で改革開放、25歳で天安門事件、30代で高度経済成長、40代でバブル景気を経験した。それは中国が大きく方向転換をした時代、「富は悪」といわれた時代から「富める者から富め」とされる時代への移行期だった。チャンインは自分の世代をこう表現する。
 「文革が終わると、偉大なる毛沢東主席にも過ちがあった、と言われた。信仰危機なんていう言葉が生まれ、世の中信じられるものなどなにもない、頼れるのはお金だ、とみんな思った。金以外に物事の基準を見出せないのが俺たちの世代なんじゃないかな」
 昨年、チャンインの母シューリャンさんが86歳で亡くなった。シューリャンさんには租界時代の上海の貴重な話をたくさん聞かせてもらった。食卓におかずを並べながら「日本のお嬢さん、こんな歴史を知ってるかい?」と話をはじめる優しい顔が今でも忘れられない。お別れが来る前に記憶を分けてもらえてよかったと今は思う。

花蓮県瑞穂近くにある和風の温泉旅館。日本統治時代、警察の保養所として使われていた

何本もの新幹線が待機する上海虹橋駅。北京行き新幹線は平均15分に1回発車する

 次にはじめたのがこの「つぶやき人民月報」だ。中国で流れるヘッドラインニュース、その裏側でささやかれる人びとのつぶやきを拾いたい、とニュースのコメント欄に注目するようになった。コメント欄には内容をチェックする検閲機能がついているし、中国人全員がネットユーザーというわけでもなく、中国15億人の意見を完全に反映しているとは決して言えない。ただ、限られた条件のなか吐き出されたカキコミ(根拠のない批判・毒舌もあれば、もっともな意見もあった)には、ヘッドラインニュースの表面からは見えてこない人びとの生の声が凝縮されていた気がした。
 今、つぶやきの主流は中国版ツイッター「微博」(ウェイボー)だ。ユーザー数はサービス開始からわずか2年足らずで3億人を超えているという。140文字のつぶやきは、時として瞬時に中国国内外で何千、何万回もリツイートされていく。もちろん本家ツイッターは相変わらずアクセス規制で閲覧できず、「微博」も電子警察の管理下にある。今日も朝から日本では江沢民の死亡ニュースが流れているが、中国では昨日から「微博」をふくめてネット管制が敷かれ、「江沢民」と検索すると、過去の業績や回顧録ばかりがヒットするようになった。「去世」と組み合わせると、検索結果さえ表示されない。しかし、「微博」の爆発的な伝播力がこの国を大きく変えると考える人は少なくない。
 6月末、北京と上海を5時間弱で結ぶ高速鉄道が開通し、一番列車に試乗した。モデル並みのキャビンアテンダント、豪華なビジネスクラスシート、振れがほとんど感じられない乗り心地。飛行機が大苦戦を強いられることが容易に予想できる完成度の高さだ。南の田園風景から北の山岳風景へ、めまぐるしく変わる車窓の景色に見とれていると、一人の乗客に話しかけられた。1970年代にこの路線の乗務員だったという60代の男性だ。
 「僕の時代は時速60キロだった。まさか310キロで走るようになるなんてね」
 中国は猛スピードで走りつづける。その変化はあまりに刺激的で、少しでも目を離すと損をした気分になるほどだ。日本にはまだまだ帰れそうにないけれど、いつかまた会える時まで、再会!

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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