台湾旅行編

 私が台湾という単語を書くとき、日本にいる日本の人とは感覚が少しズレている気がする。それは台湾を国家と考えるか考えないかとかいう政治的な問題ではなくて、もっと身体的な感覚の違い、台湾という単語に対する緊張感の違いのように思う。
 まず「台湾」という二文字。この二文字を単独で書くことが私にはあまりない。中国国内で発行する日本語刊行物を作っているため、政治的な理由から「中国台湾」あるいは「台湾地区」と表現しなければならず、もし原稿に「台湾人」と書かれていたら「台湾地区出身の」と訂正する習慣が身についてしまっている。それはもう反射的な動作なので、思想や価値観とは別の、事務的な行為といっていいと思う。そんな状況だから、中国の新聞(逆に国内メディアはそれほど気を使わなくていいらしい)や日本の本を読んでいるときに台湾という二文字を単独で目にすると、なんとなく落ち着かない、不安な気分になってしまう。習慣というのは本当に怖いものだ。
 その私にとって特別な「台湾」へ、この端午節休暇に行ってきた。2年前にはじめて行ったときは香港経由でずいぶん時間がかかったが、今回は昨年就航した上海虹橋発、台北松山着の直行便で飛行時間はわずか約1時間半。タクシー運転手によると、ちょうどこの前日には中国大陸からの個人旅行の解禁が発表されたといい、台湾と中国大陸の距離は急速に縮まっているようだった。ただしこの運転手、「経済的には潤うだろうが、大陸との距離が近くなるのは複雑な気分」と冴えない顔。「統一」はやはり微妙な問題らしい。大陸にいる私の家族や友人知人たちは当然のように台湾の中国への「回帰」を望んでいるし、台湾の人たちもそれを願っていると信じているが、実際台湾の人たちとの間には確かにかなりの温度差がある。この運転手をふくめ台湾で世間話を交わしたほとんどの人は「統一も独立も願わない」「現状維持がいい」というスタンスであり、私の手にしみついている「中国台湾」「台湾地区」の話をすると、台湾の人たちはたいていポカンとしている。無理もない話だろう。

花蓮県瑞穂近くにある和風の温泉旅館。日本統治時代、警察の保養所として使われていた

花蓮県瑞穂近くにある和風の温泉旅館。日本統治時代、警察の保養所として使われていた

 まあ、それはそれとして、私はこの島にいつも日本で感じたことのない懐かしさと、中国大陸で感じたことのない親近感を感じる。50年間の日本統治の名残や、大陸でも見られなくなった中華文化が家の軒先一つに見え隠れし、その不思議な空気感が私を引きつける。もしはじめての中華圏が台湾だったら、今ごろ台湾に住んでいたかもしれない、とまで思う。
 台北を出発し、十分、瑞穂、台東、台南と回って台北へ――。今回は鉄道で時計回りに台湾を一周する旅だ。突き抜けるように青い南国の空の下、数多くの日本語を話せる人たちに出会った。祖母が日本人だったという人や、子どものとき家族の共通語が日本語だったという人。印象的だったのは花蓮県瑞穂郷でカフェを経営している少数民族の男性だ。最初はカタコトの日本語で自己紹介をしていたのだが、こちらが中国語を話せるとわかるとせきを切ったように話しはじめ、祖父は日本人だが日本の敗戦で台湾を引き揚げてしまったこと、祖母が「見知らぬ土地に行きたくない」と言って娘(つまり男性の母親)とともに台湾に残ったこと、後年になって夫が再び台湾を訪れても会うことはなかったことを教えてくれた。祖父の顔も知らないし、日本に行ったこともないが、子どものころ家族同士の共通語は日本語で、いまだに日本人を見かけると懐かしくてつい話しかけてしまうという。いまでも日本語の「アリガトウ」が部族の言葉として定着しているそうだ。
 台湾に「日本人だった人」がたくさんいたことは出発前に本で読んだ。でも、実際に日本人というだけでここまで懐かしがられると、台湾は日本にとってどんな国、あるいは島なのか、私たち日本人はそのことについてもっと考えてもいいのではないか、という気がする。知れば知るほど、知らないことが増えていく島、台湾。これから先、「中国台湾」と書くたびに、日本のことが懐かしいと言った彼のことを思い出してしまうかもしれない。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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