中国から見た3.11

中国から見た3.11

 3月11日午後3時頃、勤務中に日本の地震を知った。「また地震か」と気にも留めずにいたら、津波が田んぼを舐めまわすようにのみこむ映像を見た。皆、ぼう然としている。「映画の『2012』みたいだ」と中国人スタッフのだれかがつぶやく。「本当だ」と思いかけて、すぐに否定する。この時、多くの中国在住日本人はまだ信じていた。住民はすでに避難している。世界最先端の地震防災システムを誇る日本でそんな悲劇が起きるわけがない、と。
 中国在住11年目になるが、情報面でも心理面でもこれほど海外にいるもどかしさを感じたことはない気がする。国際電話は関西にも通じなかった。日本の動画サイトを見ようにも中国のアクセス規制の壁に阻まれる。裏技を使ってようやく接続できたと思ったら、アクセスが集中しているのか映像がぴくとも動かない。頼みの綱は決して確実とはいえないツイッターユーザーのつぶやきだけ。情報網がこれだけ発達していても、いざという時には日本と断絶される。そして、何もできないということを痛感した。
 翌日からのテレビや雑誌、ラジオなど中国メディアの報道ぶりはまさに「想定外」だった。中央電視台では朝から深夜までぶっつづけで特別番組が生放送され、同時通訳を介してNHKの緊急番組がリアルタイムで流された。驚いたのはアナウンサーたちがまるで中国国内での出来事のように「私たちはあなた方とともにいます」「ともに乗り越えましょう」などと視聴者に語りかけたことだ。その後、報道の重点は被災地在住中国人の緊急帰国や原発事故、国内の塩買い占め騒動などに移ったものの、震災後の数日間つづいたあの被災者に寄りそうような報道姿勢はうれしく、ありがたかった。

野良仕事に出る女性(雲南省)

野良仕事に出る女性(雲南省)

 そんな大々的な報道の影響もあってのことだろう。中国の人たちの関心はかつてなく高く、こちらが日本人だとわかると多くの人が祖国や家族を気づかう言葉をかけてくれた。ある同僚は銀行窓口で「bless Japan!」(日本にご加護を)と書かれた走り書きを渡されたというし、また別の人はタクシーの運転手に乗車賃の受け取りを拒否され、「四川地震の時には助けてもらった」と100元(約1500円)札を寄付金として握らされたという。日本総領事館には連日、地元の人たちが寄付に詰めかけ、地震発生からわずか8日で人民元365万8839元(約5500万円)、日本円309万円の義援金が寄せられている。この緊急事態に募金以外に何もできず、計画停電もない海外でのうのうと暮している――。そんないら立ちと後ろめたさを感じていた日本人には一般市民の心づかいがとても温かく感じられた。
 一方で普段は知るすべもない心の声を知ることにもなった。中国の人たちの想像以上の関心の高さに背中を押され、街頭インタビューを行なったときのこと。「日本の被災地に向けたメッセージを」と道行く人びとにお願いしたところ、約40人中38人が「はぐれた家族たちが早く出会えますように」「生き残った人は強く生きて」など心のこもった言葉を書いてくれたのだが、日中の歴史を理由に書くのを断った人が2人いた。うちコンビ二勤務の50代の女性は、祖父が日本軍に首を斬られたといい、「家族の手前、書けない。被災者とは関係ないことだけど許して」と言った。通常の街頭取材でも断られることはあるが、こうした事情が理由に挙げられたことはかつてない。廃墟になった町の映像を見て何かを思い出したのかもしれなかった。
 「震災を機に対日感情が改善」という報道を見かけたし、私自身そう感じている。災害の前に国籍はないというのはまさにそうで、実際中国の人たちの優しい言葉は心にしみた。でもその一方で、災害時にさえ焼け野原のふるさとや失われた家族を思い出し、口にできない複雑な思いをもつ人が中国にはいるということ、そこから目をそらしていては本当の「改善」や「友好」にはほど遠いということも肝に銘じておきたいと思う。日本のこと、中国のこと、自分のこと、家族のこと。今回の震災は身の周りのあれこれを考え直すきっかけとなりそうな気がしている。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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