手を貸す? 貸さない?

手を貸す? 貸さない?

vol.10

2011.02

 あれよあれよという間に明日(2月2日)はもう中国の大みそかである。上海人口の大部分を占める地方出身者はそのほとんどがすでに帰省し、街で聞こえてくるのは上海語ばかり。年に一度、上海が上海人の街になる瞬間である。
 この時期、注目のニュースはといえば断然、社会面だと思う。年越しのお金ほしさの犯罪、人間関係のこじれから起きる事件などなど、人間が本来持つ弱さや優しさについて考えさせられる見出しがてんこ盛りになるのだ。以下、『新浪網』のコメント数上位10位のニュースだ。

 1位「金ほしさに一家4人を強殺 別室にいた孫娘は無事」
 2位「贈賄額と官僚名記載の秘密リスト発見 関係者を逮捕」
 3位「無免許運転の格闘技コーチ 罰金を拒み警察官を殴打」
 4位「交際相手同伴で離婚交渉に臨んだ男 父親が心臓発作で死亡し、責任追及される」
 5位「高齢者が路上で転倒 通行人は一人も手を貸さず」
 6位「『下着を洗わない』妻を相手に離婚訴訟」
 7位「切符購入の行列に老婦人が粥の炊き出し ネットで人気者に」
 8位「5歳少女が10階から転落し、無事 トタン屋根がクッションに」
 9位「会計ミスで買い物客が警備員ともみ合いに カルフール」
 10位「義父と関係ともった妻 行方知れずの夫に帰宅を呼びかける」

 どれもインパクト抜群のネタだが、なかでも地味ゆえに異様な存在感を放つのは5位である。「高齢者が路上で転倒 通行人は一人も手を貸さず」、一体どういうことなのか?
 『深セン晩報』によると1月30日の午後、深セン市内で80歳の男性が転倒し、自力で起き上がれなくなった。多くの通行人が老人を取り囲んだが、だれ一人として抱き起こそうとせず、指一本も触れず、しばらくしてだれかが携帯電話で救急車を呼びようやく解決した――という事件でも事故でもない些細なニュースだ。しかし、これになんと3000件以上のコメントがついている。日本でも問題になっている「周囲への無関心」が原因だろうか? それがちょっと違うらしい。

農村の図書館閲覧室(雲南省)

 基本的に中国の人は人懐っこい。見知らぬ人でも気軽に声をかけるし、とくに子どもや老人に対してはまるで家族のように親しく接する。ケガ人や急病人なら、なおさらである。ところが、近年これを逆手にとった「碰瓷党(ポンツーダン)」、つまり当たり屋が出現し、少々事情が変わってきた。
 有名なのは2006年に南京で起きた「徐ばあさん事件」である。ある日、徐というおばあさんがバス乗り場で転倒した。居合わせた男性が親切心で病院に連れて行ったところ、後日、本人と家族が「この男性に押されて転んだ」と損害賠償を求める訴訟を起こした。証人もいたが男性の主張は認められず、一審判決で男性が医療費と損害賠償金合計約4万6000元(約69万円)の支払いを命じられたという。
 以降、各地で同様の事件が頻発し、急病人・ケガ人を見ても救助しない人が続出。なかには事実を証言してくれる通行人9人を確保してから救急車を呼んだケースや、急病人が何の救急手当ても受けないままやじ馬に囲まれて死亡するケースも出てきた。今回の深センでも老人に手を差しのべようとして周りに警告され、不安になって手を引っこめた女性がいたらしい。幸い老人は軽い鼻血だけですんだものの、同ニュースのコメント欄では今でも「助ける or 助けない」の議論がつづいている。
 「これまでの教訓の数々を見よ。関わるのは自殺行為だ」
 「正月に面倒に巻き込まれたいヤツなんているか? 人助けして訴えられるなんて」
 「オレなら救急車呼ぶのもヤダ。ケイタイの発信記録で個人が特定されてしまうし」
 「私は助ける。しぼりとられる金なんてないから」
 「悲哀だ。先進国どころか発展途上国でもこんな国ないぞ」
 「すべては徐ばあさんのせい」
 ちなみに解説によると傍観者効果説というのがあって、つまり目撃者の数が多ければ多いほど一人ひとりの責任感が薄れ、当事者が助けを得られる可能性は減るらしい。人が多いからたくさんの助けが望めるのではなく、逆なのである。加えて訴えられるリスクもあるということになれば、救助の可能性はいっそう低くなることだろう。ふいにやじ馬にのぞきこまれながらも放置される自分を想像して、背筋がぞっとした。
 転倒したおじいさんに手を貸すべきか否か。良心をとるかリスク回避をとるか。一見、地味なニュースだが、その意味は底なし沼のように暗くて深い。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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