マンション火災

マンション火災

 夜中に仕事をしていると、MSNメッセンジャーのウインドウがピカピカと点滅した。ユーザー名を見ると、20代後半の上海人友人である。珍しいな、と思って開くと、こんなメッセージが届いていた。
 「今度こそ杯具だね」
 杯具(bei ju)の元の意味はコップ、しかしネット用語では「悲劇(bei ju)」を指す。何のことかと聞きかけて、気がついた。数日前に静安区で起きたマンション火災のことである。58人が死亡、40人以上が行方不明という大惨事。職場でも「家、何階?」といった会話が飛び交い、高層階に住んでいる人は不安そうな顔をしていた。まさかこの大都市の、しかも市街地のど真ん中で28階建てのマンションがまるごと焼けるなどと、だれひとりとして思っていなかったからである。
 「高層マンション用の消防車が少ないから」。これが消火まで4時間を要した理由である。昨年2月、北京にある国営中国中央テレビ局新社屋が燃えたときもそうだったが、こんな理由がいつまでもまかり通るわけがない。上海は世界一高層ビルが多い都市なのである。はしごが短かったから、で済まされるのなら、高層マンションへの入居は命がけだ。でも、今回のことで上海市は高層用の消防車を緊急配備するらしいし、市民の安全意識も高まるだろう。上海は安全な街になっていくはずだから、と慰めるつもりでメッセージを返すと、友人は違うのだという。いま一番の問題はそういうことではない、と。
 友人の怒りは火災そのものとは別のところにあった。巷でささやかれる建設業者と政府幹部との関係、当局の釈然としない態度、一連の報道規制――。事実は定かではないが、遺族を取材する記者は批判的な記事を書かないことを約束する誓約書を書かされているという情報もあった。自分の生まれ育った街は大陸一自由なところ、と自負してきた友人は相当なショックを受けていた。同時に、上海でこうなら地方はいったいどうなっているのか、と不安そうでもあった。

「隣人の気づかいは海のごとし 仲睦まじければ土も金となる」(金家坊)

 こうした怒りは彼だけではないようだ。ネットでは「上海のマンション火災 上海市長への20の質問」なる質問状が出回り、転載と強制削除を繰り返しながら徐々に広まっているという。質問内容は率直で市民の知りたいことを突いている。
 「死亡者数は正しい数字か」
 「なぜ現場に記者を入れないのか」
 「なぜ宣伝部門はメディアの踏みこんだ取材を禁止し、記事を削除するのか」
 「このマンションの外壁工事は子請け、孫請け業者に委託した末、最終的には無許可の工事業者を雇っていたのか」
 「労働者だけを拘束して、責任者が調べを受けないのはおかしいのではないか」
 「上海にはおびただしい数の高層住宅があるというのに、専用の消火設備がないのはなぜか。予算はどこへ消えたのか」
 質問状の最後は、作成者がネットユーザーに対して呼びかける形で終わっている。
 「大災害の時は互いが助け合うべきで、何かを追究したりして事を混乱させる時でない、という人もいます。しかし、このままではこの火災もやがて不可抗力の天災だったということで片づけられ、最終的には感動的なエピソードを報道した日和見メディアの功績にすりかえられてしまいます。回答のないまま問題を放置してしまって、私たちは本当にいいのでしょうか?」
 現場には火災から半月過ぎた現在も花を捧げる市民が詰めかけ、犠牲者の無念を思って涙を流している。滞在10年目、上海の人たちがこんなふうに悲しみや怒りを共有するのを見たのはこれがはじめてだ。大惨事ではあったけれども、今回のことで安全面での向上はもちろん、友人のように上海の自由、地方の自由について考えたり、報道の現状に疑問を投げかける人が出てきたのであれば、それはせめてもの救いなのかもしれない、と思う。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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