ため息の季節

ため息の季節

 この原稿を書いている今、日中間は尖閣諸島問題で揺れに揺れつづけている。
 現地生活者としてこれを実感したのは、満州事変のきっかけとなった柳条湖事件から79年目を迎える9月18日の数日前だった。上海在住日本人の間では「抗日デモがあるらしい」「2005年の悪夢再来か」と不穏なうわさが流れ、当日も朝から勤務先会社の人事部や友人から「今日は外出しないように」「日本領事館に近づくな」といった電話が次々にかかってきた。結局、抗議デモは小規模だった上にすぐ解散となり、領事館周辺でも交通規制があったぐらいで大きな混乱はなかったのだが、ホッと胸をなでおろしたとたん今度はSMAPの上海コンサート延期の知らせが入った。チケット販売代理店が発表した理由は「技術上の問題」。SMAPは今年6月に安全上の問題で上海万博でのイベントが中止になったばかりだから、中国のSMAPファンが肩透かしにあったのはこれで2度目だ。普段、政治に関心がなさそうな同僚の上海人女子たちもさすがに今回は黙っていられないという風だった。以下は偶然耳にした彼女たちの井戸端会議の内容である。
 「チケットの払い戻し、どうしてくれるのかな。だいたい島とSMAPと何の関係があるっていうの?」
 「あれって日本が事故に見せかけてわざとぶつけてきたんでしょ」
 「アンタそれを信じてるの? 日本人ってそういうやり方はしないよ」
 「なんでそんなことわかるの?」
 「そもそも日本は首相がちょっとねえ」
 「他に選択肢がなかったんだから、しかたないでしょ。日本国民も大変なのよ」――
 一方、ネット上のつぶやきはどうなっているのか。まず『新浪網』では事件発生直後から「日本の巡回船がわが国の漁船に衝突」と題した特集が図解入りで組まれ、事の経過が細かく書かれている(日本で報道されているものとシナリオは当然異なる)。今週のコメント投稿数トップを飾ったのは「漁民拘留事件に対する謝罪を日本側が拒否」のニュースで、約4万2000件のカキコミが連なる。

街角で出会った道案内のおじいさん(ソウル)

 「なにがどうあっても賠償請求せよ」
 「アニキ(拘留された中国人船長)は新時代の優秀な国民だ。みんなで日本製品の不買運動に参加しよう。過去の恥辱を忘れちゃいけない」
 「不買運動なんて幼稚な行為だよ。日本製品が生活必需品にならないよう心がければいいだけの話」
 「武力行使に出るべき!」
 日本へのこうした反発はマスコミ報道やネット世論だけのことだろう、とたまに言われるが、意外にそうでもない。友人は中国工場の従業員の態度に明らかな変化があったと言うし、同僚の一人は弁当配達員に「あなたたち日本人はまちがっている」と言われた。私にもここ最近、急によそよそしくなった知人がいて、気の小さい私は以来、日本人と接触のなさそうな人と会うと、何か言われるのではないかと知らずのうちについ身を固くしてしまう。そして毎日のように目の当たりにする日中両方の報道と、その内容の隔たりにさらにどっと疲れる。
 しかし、こういうときだからこそ気づくこともある。先日、姑のある言葉にはっとさせられた。夕食後、テレビを前にひと言「子どものケンカのようだ」とつぶやいたのである。彼女に言わせると国同士のこの問題も「そっちが先に手を出した」「そっちが先だ」「それなら証拠見せてみろ」というだけの低レベルのケンカ。それなのに嫌がらせをしたり、されたりしてそれが毎日のニュースになるのが不思議でならない、しかもこういうことが戦争の理由になるのだからくだらない、という。もっともな話である。
 どちらとは言わないが、そろそろ上手に拳を引っこめてくれないだろうか。こう見えて中国在住日本人はけっこう苦労しているのである。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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