肛門縫合に思うこと

肛門縫合に思うこと

vol.4

2010.08

 どれだけ忙しくても朝、パソコンで中国のヘッドニュースだけは見ることにしている。といっても、たいていは寝ぼけ眼なので、「読む」というよりは目を走らせるといった感じで、重要なニュースを見逃すなんてことはしょっちゅうだ。しかし、さすがに今日は衝撃的な文字列に眠気も吹っ飛んだ。
 「心づけもらえず助産師が腹いせに産婦の肛門を縫合か」
 このニュースに対するコメント数は現在のところ7万3110本。ニュースサイト「捜狐(SOHU)」ではコメント数ランキングダントツトップである。
 広州日報の報道によると、7月23日の午後4時ごろに深圳(シンセン)の民営病院である妊婦が男児を無事出産した。ところが夜になって激痛を訴えたため、夫が見ると肛門が縫合されているのを発見。卵大に腫れ上がっていたという。「産婦に痔があったので無償で痔治療の手術をした」と助産師は説明するが、実は出産当日この助産師から夫に対して「生まれてくる赤ちゃんを取り上げるのはこの私よ」「持ち合わせはいくらあるの?」と再三にわたって心付けの催促があった。夫はまず100元を握らせ、出産後さらに1000元を渡すことを約束したが、助産師は「そんな手が通用すると思っているの」と憤慨したという。夫は「妻に痔などなかった」と話している。
 と、ここまでだけなら、産婦への同情が集まる小さなニュースの一つだっただろう。中国の医療現場で心付けは決して珍しい話ではない。
 ところが、病院と市の衛生局がこの助産師をかばう見解を発表したものだから、ネットユーザーたちの怒りに火がついた。それによると助産師は産婦の痔核が飛び出し、出血しているのを見て処理したに過ぎず、助産師の身で治療行為を行ったことはたしかに違法だが、よかれと思っての行為であり、腹いせだという証拠はないというのである。以下は刻一刻と増えていくコメントの一部だ。
 「すっげー」(so1380)
 「よかれと思って、だと? わが祖国の土地にまだ光はあるのか。あるのだとしても、ほとんどお目にかかれなくなってしまった」(sunny52402s)

タバコ屋でタバコを買う人(婁山関路)

 「医療現場っていうこの複雑な場所にどうしていまだ監視カメラを設置しないのだろう? 自分たちの利益のためにも買えばいいのに」(携帯ユーザー)
 「(監督と医師収入の保障がカギだとする代表医師のコメントに対し)何をほざく。庶民の害になるやつの首根っこを捕まえるのがカギだろうが!」(nsen4600)
 一方で「自分は渡さなくても大丈夫だった」という人もいる。
 「女房は北医三院で産んだけど、だれも要求してこなかったし、自分たちからも渡さなかった。態度はよくなかったが、責任ある仕事ぶりだったぞ」(堕落de修羅)
 健康関連のサイト「39健康網」が今年の4月から2カ月間、医療現場の心付けに関するアンケート調査を行い、6万492件の回答を得ている。それによると「これまで医師に心付けを渡したことがありますか」との質問に64パーセントの人が「ある」と答え、心付けの形式は73パーセントが「金銭」、7パーセントが「高価な物品」、15パーセントが「食事のごちそう」と答えている。また金銭の場合、その額は「1~500元」が64パーセントともっとも多く、次に「500~1000元」の24パーセント、「1000元以上」の12パーセントとつづいた。
 私の周りにも、大きな手術になると数百元から数千元単位で心付けの準備をするという人が多い。なかには執刀医のほかに麻酔医、担当医、看護師長にまで用意する人もいる。理由を聞くと、渡さなければ手術が失敗するとは思っていないが、渡した人より一歩出遅れること、渡さずに失敗したときの後悔を思うと不安でしかたがないのだという。これは想像だが、おそらく受け取る側も自分だけ取りはぐれていると落ち着かないのではないだろうか。肛門を縫合したという助産師も心付けが手に入らないことにいら立ちながらも何かが不安だったのだと思う。
 万博会場の偽装身体障害者の一件でも痛感したが、人口の多い中国は世界でも有数の競争社会である。結局、大都市の医療現場の心付けはそうした環境のなかで生き残るための一種の精神安定剤なのではないだろうか。監視カメラを設置することも罰則を厳しくすることも簡単ではあるけれど、根本を変えようとするなら、生存という人間の本能を負のスパイラルから解放するにはどうすればいいのかを考えなくちゃいけないのかもしれない。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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