万博は上海にあらず

万博は上海にあらず

vol.3

2010.07

 仕事でもプライベートでも毎日のように必ず出る話題。そして、興味があろうがなかろうが、上海在住者である限り、無縁でいられない話題、それが万博である。実は私はこうしたイベントそのものには一向に心躍らないタチではあるが、しかし、万博会場でどんな現象が起こっているのか、それが中国の何を物語っているのかについてはちょっと興味をそそられる。そこで、万博開幕2カ月を迎えた今回は番外編として私が会場で思ったアレコレを書いてみたい。
 まず感じずにいられないのが万博会場は上海にあって決して「上海ではない」ということである。会場内は地方からの旅行客であふれかえり、中国各地に存在するあらゆる方言が飛び交う。ある日、石油館の行列に加わり、友人と日本語で話していると、前後からこんなささやきが聞こえてきた。
 「おい、そいつ、日本人じゃないか?」
 「ホントだ、日本語だ」
 一瞬ヒヤッとしたが、なんのことはない、日本人をリアルで見たことがないだけなのである。短期滞在もふくめると、いま上海には10万人の日本人が滞在し、外国人だというだけでここまで珍しがってもらえることはすっかりなくなってしまった。そこで、こちらも調子に乗って「日本人ですが」とカミングアウト。すると「日本人が中国語をしゃべった」と、どよめきが起きてしまった。そこからは「旅行に来たのか?」「上海は何年目だ?」などと次から次へと質問攻め。行列のなかで地味な日中友好が繰り広げられた。
 一方、中国で万博をやることのスゴさを感じるのは、やはりパビリオンだ。中国全土から来た知識レベルも価値観も金銭感覚もまったく異なる人たちが同時に同じものを同じ場所で見る。それは実に複雑な光景である。評判がいいとされる日本産業館内でさえ、ある人は「なんだ、これ?」と首をかしげ、ある人は「こんなの知ってるよ」と肩を落とし、ある人は何を展示しているのかさえ理解していない様子だった。価値観がある程度平均化され、「この展示はウケる」「あの仕掛けは驚いてもらえる」と予想がつく日本とは異なり、出展者はさぞ苦心したのではないだろうか。

電線に干された靴(董家渡路)

 しかし、いちばんの注目は日本でも報道されていたマナー問題である。なかでも、あくどいと言われているのが身体障害者を装ったエセ車椅子組だ。車椅子の人は列に並ばずに特別ゲートから入場できる優遇ルールを悪用したもので、ビデオ映像を見ると、たしかにパビリオンから出たとたんにおばさんが車椅子からすっくと立ち上がって、車椅子を押して去っている。この問題は先日、上海音楽大学の女子学生が上海市長宛てに嘆きの手紙を書き、その内容が公開されたことで発覚。大きな議論を呼んだ。あるニュースサイトでは大々的な特集ページが組まれ、「海外からのゲストの前で恥をさらすな」などという市民教育キャンペーンが実施されている。
 「万博攻略テク」といえば、私の知人は「70歳以上の高齢者とその付き添い一人は特別ゲートから入れる」というパビリオンのシステム(一部除く)を利用し、なんと1日400元(約6000円)で80歳の高齢者を一人雇った。万博の入場料が160元であることを考えると決して安くはない値段だが、こうすると高齢者は謝礼をもらえる上に万博をタダで参観でき、雇い主は行列に並ばなくてもすむから、一石三鳥なのらしい。知人の話だと、このテクは見事に功を奏し、通常6時間半並ばなければいけない人気パビリオンにたった1時間(特別ゲートも順番待ち)で入れたそうだ。これについて中国人の友人たちは「頭いい!」と感心しきりである。
 結局、人口が多いということはそういうことなのだと思う。人と同じことをやっていたのでは生き残れない。いざという時にモノを言うのは悪知恵かおカネなのだ。「民度が低い」「モラルがない」と批判し、一時的に会場内の違反者を封じこむのは簡単だが、問題の本質はもっと深いところにある。だからこそ政府もここぞとばかりに異様なほど教育キャンペーンに力を入れているのだろう。
 万博はある意味、中国の縮図である、と言ったら大げさだろうか。「万博前」と「万博後」で何が変わって、何が変わらないのか、ちょっと楽しみである。

プロフィール

上林 早苗(かんばやし さなえ)
1978年生まれ、奈良出身。
京都外国語大学中国語学科卒業。上海在住11年目。
中国人の夫と姑との3人暮らし。

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